鬱島郡守報告顛末画像

1906年3月28日、鬱島郡守は、島根県官吏の訪問を受けた。
翌日の3月29日(陰暦3月5日)に江原道庁に報告書を上げた。
1ヵ月後の4月29日、江原道庁は、参政大臣に報告した。
5月9日、皇城新聞は、「鬱倅報告内部」を報じた。
この頃、大韓毎日申報は、「無変不有」を報じた。
5月20日、参政大臣は、指令3号を発した。
何時の頃か、総監府は朝鮮に鬱島郡の所属島嶼にかかる質問をした。
7月13日、皇城新聞は「鬱島郡の配置顛末」を報道した。


1906年3月28日、鬱島郡守は、島根県官吏の訪問を受けた。翌日の3月29日(陰暦3月5日)に江原道庁に報告書を上げた。

1ヵ月後の4月29日、江原道庁は、参政大臣に報告した。

この頃、大韓毎日申報は、「無変不有」を報じた。


5月9日、皇城新聞は、「鬱倅報告内部」を報じた。


5月20日、参政大臣は、指令3号を発した。

何時の頃か、総監府は朝鮮に鬱郡の所属島嶼にかかる質問をした。7月13日、皇城新聞は「鬱島郡の配置顛末」を報道した。

鬱島郡の配置顛末
統監府から内部に公照された江原道三陟郡管下に所在する鬱陵島の所属島嶼と郡廳設始月を示明せよとの故に答酬され、光武二年五月二十日に鬱陵島統監として設證され、光武四年十月二十五日に政府会議を経由して郡守を配置したが、郡廳は台霞洞に置き、該郡所管島はチュク島と石島で、東西が六十里で南北が四十里なので、合せて二百余里だという。
(chaamieyさん翻訳・杉野プログ公開)
- 最終更新:2011-05-20 12:48:28